日誌

春日部高校情報

【校長ブログ】雑草という草はない~12月22日は冬至~

 12月に入るとすっかり日が短くなり、午後4時過ぎには空は夕焼けになっています。今年は、12月22日が冬至(とうじ)。一年で最も昼の時間が短くなる日のことです。暦を意識せずとも、午後5時過ぎに外が真っ暗だと、日没の早さに冬を実感する人も多いと思います。冬至の日の出は札幌で7時3分頃、日の入りは16時3分頃で昼間の長さは約9時間です。東京の日の出は6時47分頃、日の入りは16時32分頃で昼間の長さは約9時間45分となるそうです。

 私は、春日部高校で校長相当職4か所目ですが、最初に校長職を務めた高校には農業科がありました。農業は季節を大切にする営みです。農業科の教員からも、いろいろなことを学ばせてもらいました。植木は、冬に剪定すると雪対策にもなりますが、同時に病気や害虫も防ぎ、春に元気に芽吹く力を蓄えることにもなります。植物はそれぞれ、生育できる耐寒温度が異なり、何も手をかけなくても冬越しできる大丈夫なものと、寒さ対策をしないと冬越しできないものがあります。

 早春のある日、「一気に春ですね。農場の畑も雑草が一斉に芽吹きました。春の芽吹きはすごいですね。」と農業科の先生に声をかけたら、「雑草という草はない」という昭和天皇(1901~1989)の箴言をうかがいました。調べてみたら昭和天皇の侍従長をされた入江相政さん(1905~1985)が、『宮中侍従物語』の中で触れられています。

終戦直後の初秋、天皇皇后両陛下が御用邸からご帰京されるので、宮殿の庭に草が茂っていたら見苦しいだろうと、侍従たちが草刈りをしたそうです。しかし、人手が足りずに刈りきれなかったそうです。昭和天皇がお帰りになった時に「どうして草を刈ったのかね」と尋ねられ、入江侍従は「雑草が生い茂っておりましたので、一部お刈りしました。」とお詫びしたそうです。すると昭和天皇は「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草と決め付けてしまうのはいけない。注意するように。」と諭されたそうです。どんな植物にも名前や役割があり、人間の都合で邪険に扱うような呼び方をすべきではないと伝えたかったようで、入江侍従は強烈な印象を受けたそうです。

 農業の基本は土づくり。いくら良い作物を育てようと思っても、土づくりを怠っては持続的な農業はできません。近年、教育の世界では、「個別最適化学習」がトレンドになっています。生徒一人ひとりの理解状況や能力、適性に合わせて個別に最適化された学びを行うことを指す言葉です。春日部高校では、その具現化に向けて、伝統を大切にしながら、生徒一人ひとりが大きく成長できる教育環境の“土づくり”に取り組んでいます。

【校長ブログ】見せてやれ、底力!~春高74期生激励会~

 12月17日、春日部高校では、今春に本校を卒業し、自らの志を実現するために受験準備をしている74期生の激励会を音楽ホールで開催しました。校長の私も激励のために参加しました。

 激励会では、大学受験最新情報、担任団の激励と春高体操パフォーマンス、浪人生の決意表明などの後、校歌斉唱。最後に、金子 功男 74期学年主任が激励をして”元気”を満タンに注入しました。

 頑張っている受験生ほど、誰かに「ガンバレ!」とは言われたくないものです。努力していることは自分が一番知っているのだから、当然です。でも、不安になることがあります。そういう時は、母校である春日部高校を思い出してもらいたい。受験の良いところは、一人で生きているんじゃないと、実感することだと思います。この頑張りは、受験の先に続く長い人生で、君たちを励まし支える力となります。自分を信じて、ラストスパート!

 心のふるさと春日部高校は、卒業生を応援しています。

薬物乱用防止教室実施

2学期の期末考査が終わり、薬物乱用防止教室が行われました。

感染症対策を実施し、オンライン会議システムによって実施されました。

講師として、横浜薬科大学の小出彰宏 教授(前文部科学省健康教育調査官)からお話をいただきました。

事前に春高生へアンケートを実施し、春高生の実態を分析しながらの説明がされました。

近年、中・高校生の覚せい剤事犯検挙者数が高水準で推移しているとのこと。

今回の教室を通じ、春高生一人一人が薬物乱用や健康についての理解やふさわしい姿勢を身につけてほしいと思います。

【2022年 英作文コンテスト】 奨励賞受賞

高英研主催、英作文コンテストにて、1年 稲垣 譲君が見事奨励賞を受賞しました。

Produced by Koeiken, in The English Writing ContestInagaki Yuzuru, who is in class 1-9, got the Encouragement Award.

1年生の部門では、91人参加し、わずか3名のみが奨励賞に入賞しました!

91 studetns participated in the contest for frist grade students, and only three students out of them were chosen for the prize.

中学生の時に英語に興味が湧き、他の教科や部活等に励みながら日々コツコツと勉強してきた成果が出たと思います。

He has been interested in English since he was in junior high school and chipped away at studying English. I believe that his continuous effort brought him the award.

本人は来年の大会にも参加意欲があり、次回は上位入賞を目指して、さらなるスキルアップを目指すようです!

He is now gearing up for the same competition, and he is going to brush up on his English writing skill so that he will be able to be in the top 5 in the contest.

頑張れ、春高生!

【校長ブログ】背負うということ

 春日部高校は、12月12日から期末考査期間中です。午前7時には登校して直前勉強をしている生徒もいます。生徒諸君の健闘を期待しています。

 本日12月14日は、元禄15(1702)年に大石内蔵助ら赤穂浪士47人が江戸・本所松坂町の吉良上野介義央の屋敷に討ち入りし、主君である浅野内匠頭長矩の仇討ちを成し遂げた日です。実際は旧暦であったため、西暦に直すと1703年1月30日になります。しかし、12月14日は、この日を偲んで東京都港区高輪の泉岳寺や兵庫県明石市の大石神社・花岳寺などで義士供養の「義士祭」が行われます。忠臣蔵」の主人公である大石内蔵助も主君の仇討ちという宿命を背負っていました。

 いつの時代も、背負うということは、大変苦しいことです。春日部高校生は、旧制埼玉県第四中学校以来の伝統を背負わなければなりません。私は、高校時代は山岳部に所属していました。20キロ、30キロの荷物をザック(高校生当時はキスリング)の中に入れ、登り道を一歩一歩登っていきました。一緒に登っている仲間に迷惑をかけないように、あと少しで休憩と思い、登ったことを覚えています。背負う荷物の重みは、全て肩に食い込みます。

 池宮彰一郎(1923~2007)は、「13人の刺客」(1963年:東映)などの映画脚本家でしたが、69歳の時に歴史小説家としてデビューした骨太の作家です。晩年は、盗作騒動で不遇でした。池宮彰一郎は、小説『受城異聞記』(1999年文春文庫)で、苦難の白山越えを描いています。ある小さな藩を背負った男たちの物語です。短編歴史小説ですが、一気に読んでしまいます。

 宝暦8(1758)年12月、加賀大聖寺藩の24人は雪煙の中、切り立つ白山(標高2702m)を目指します。幕府の命で廃絶の決まった隣の郡上藩、飛騨高山陣屋と廃城を受け取りに行くためです。難題です。厳冬の白山越えの道などありません。受け渡しとなれば、士分は甲冑、徒士・足軽は具足に槍鉄砲、旗印が必要です。期限は元旦と区切られています。失敗すれば、国替えもあり得ます。身の丈を超す雪をかき分け、尾根から谷へ、谷から尾根へ、槍の柄まで削って暖をとり、倒れた仲間も打ち捨てることもありました。たどり着いたのは4人でした。しかし、待っていたのは城を枕に自裁して果てた郡上藩の人たちの姿でした。

 言語を絶する雪中行軍と無惨な結末には胸を打つものがあります。それだけではありません。底に流れる信頼感、連帯感。大聖寺藩は名うての貧乏藩です。城もありません。貧しいから心を合わせられたのでしょうか。

 主人公の郡奉行は下級武士の十四男で無類の働き者です。山方の侍として黙々と山をまわっていました。林政は50年後、100年後を考えます。藩を背負う気持ちで通じ合うものがあったからこそ、雪の行軍を引き受けたのでしょう。

 登山では、一緒に山に登る集団をパーティーと言いますが、お互いに信頼し合えないと、非常時には対応を誤ります。教育は国家100年の計と言われます。私たち春日部高校の教員は、春日部高校に入学した生徒一人ひとりが、しっかりと進路実現できるように、その矜持を背負っていかなければならないと思っています。

【校長ブログ】歴史を決めた交渉~日米開戦まで~

 本日12月8日は、日米開戦の日です。1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍が米国ハワイ・オアフ島の真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃し、3年9カ月に及ぶ太平洋戦争が始まりました。

 日本近現代史の研究者である 加藤 陽子 東京大学大学院教授の『戦争まで―歴史を決めた交渉と日本の失敗―』(朝日出版社 2016年)という本があります。28名の中高生を対象にした歴史講義がもとになっています。

 日米開戦の前に、世界が当時の日本に「どちらを選ぶか」と真剣に問いかけてきた交渉事は三度ありました。第一は、満州事変に対して当時の国際連盟によって派遣された調査団が作成したリットン報告書をめぐっての交渉と日本の選択です(1932年)。第二は、ヨーロッパでの戦争と太平洋での日米対立を結びつけることになった日独伊三国軍事同盟締結についてです(1940年)。第三は、1941年4月から日米開戦直前の1941年11月までに日本と米国の間で交渉がなされた日米交渉です(1941年)。

 加藤陽子教授は「この講義の目的は、みなさんの現在の日々の生活においても、将来的に大人になって社会人になった後においても、交渉事にぶちあたったとき、なにか、よりよき選択ができるように、相手方の主張、それに対する自らの主張を、掛け値なしにやりとりができるように、究極の問題例を挙げつつ、シミュレーションしようとしたことにあります」と述べています。

 当時の日本がなぜより良き道を選べなかったのかを、じっくりと考えることができる一冊です。是非ご一読ください。

 

【校長ブログ】坂本龍馬「日本を洗濯しよう」

 私は、11月28日から12月1日まで2年生(76期生)の修学旅行を引率しました。76期生の修学旅行は、初日に広島での平和学習、2日目に広島から京都までの班別自主研修、3日目に京都・大阪方面班別自主研修、4日目に京都方面クラス別研修でした。第3日目に京都市内を巡回しました。坂本龍馬が暗殺された近江屋跡(京都市中京区塩屋町)にも行ってきました。現在、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っています。

 幕末の志士 坂本龍馬(1835~1867) は、大政奉還直後、京都で暗殺されています。坂本龍馬は時代の変化に敏感でした。彼が郷里土佐で知人の檜垣清治(ひがきせいじ)(1839~1894)と行きあうたびに、自分を変革させていたという逸話は創作だと思いますが有名です。

 土佐の檜垣清治が、そのころ土佐で流行していた長い刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、龍馬は、「きさまはまだそんなものを差しているのか。おれのを見ろ」と言って、短い刀を見せました。そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな長い刀は無用の長物だよ」と言いました。

 檜垣清治は、そこで、龍馬のと同様の短い刀を作り、次に帰ってきたとき見せました。すると龍馬は、「このあいだは、あの短い刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、ピストルを取り出して見せたというのです。

 またその次に帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。さらにその次に会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、文明国共通の法律だ。おれは今それを研究しているのだ」と語ったそうです。

 歴史は時に冷酷です。坂本龍馬は1867年に京都で暗殺され31歳で亡くなっています。檜垣清治は、明治時代には警察官となり1894年に55歳で亡くなっています。現状にとらわれない、絶えず先を見るという坂本龍馬の姿勢は、素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。

 「長い刀から短い刀」「短い刀からピストル」「ピストルから万国公法」というように、古い武器から新しい武器、新しい武器から法律、民主主義へと変化のシンボルを常に求めながら、自己変革、つまり「イノベーション」をとげました。

 坂本龍馬は、幕末の1863年に姉に向けた手紙で「外国人と結託している江戸幕府の役人を打ち破り、日本を今一度洗濯しなければなりません」と書いています。坂本龍馬は今から150年前に「日本を洗濯しよう」と決意し、大政奉還を実現させ、「明治」という新しい時代を切り開きました。

 春高生諸君、「これではいけない」「ここの部分は変えないといけない」と思ったら、大いに行動に移してください。2年生は、進路実現に向けて「ゼロ学期」が始まります。自分の志を実現しましょう。

 努力して成功すれば、自信となる。

 努力して失敗すれば、経験となる。

 努力しないで成功すれば、天狗になる。

 努力しないで失敗すれば、あきらめる。

【囲碁部】関東大会出場決定

1月7日(土)に行われる関東高等学校囲碁選手権大会団体戦に春高が出場することになりました。県予選3位からの繰り上げ出場ですが、出るからにはまず一勝を取りに行きたいと思います。

平成30年に全国準優勝したチーム(林、中島、吉田)が引退して以来、丸3年の間部員ゼロが続いた春高囲碁部。令和3年度、初心者1名ながら入部した宇田川が翌年熱心に新入部員を勧誘し、経験者2名、初心者1名を迎え、今年度は4名で活動。そして今回、四年ぶりの関東大会となりました。

県予選では主将:中山、副将:石井、三将:宇田川で臨み、特に初心者ながら宇田川が全勝の活躍。県内の三将同士の対戦でなら、かなり勝てるようになってきました。囲碁部を再建し、本人の棋力も向上させた宇田川に感謝したいと思います。そして、一年生部員も運動部と兼部ながら練習不足を克服し頑張ってくれました。関東では厳しい対局となるでしょうが、精一杯打ってきてほしいと思います。

県予選の様子

12月 学校説明会

12月3日 学校説明会が行われました。

吹奏楽部による「炎と森のカーニバル」

応援指導部と吹奏楽部による校歌披露

学校説明会では上原校長からの学校概要説明、櫻田教頭から入試の説明がありました。

説明後、生徒発表として、生徒会の森本君より学校生活の紹介と吹奏楽部の演奏披露、応援指導部からの校歌披露が行われました。

 

ご参加いただきありがとうございました。

 

1月7日には個別相談会が行われます。

詳しくはこちらをご覧ください。