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【校長ブログ】0から1をつくる大切さ~春日部高校卒業証書授与式~
春日部高校では、3月15日、第75回卒業証書授与式を行いました。卒業した75期生は、新型コロナウイルス感染症の大きな制約を受け続け、0から1をつくること、常にそれを求められた3年間でした。卒業生、保護者の皆様、学年団の先生方の今日までの奮闘に敬意を表します。
閉式後には、保護者の皆様から学年団の先生方をはじめ、校長の私にまで花束をいただきました。75期生諸君の今後の活躍を祈念しております。下記に本日の式辞を掲載します。
厳しかった冬の寒さもやわらぎ、春の訪れが感じられます。この春の佳き日に、潜在能力、将来性などの高いポテンシャルを持っている358名の75期春高生諸君が、この八木崎の学び舎から旅立つことを、大変うれしく思います。
御来賓の皆様のご臨席、多くの保護者の皆様のご列席を賜り、私たち教職員とともに卒業生の門出を祝していただけますこと、心より感謝申し上げます。
ただ今、卒業証書を授与いたしました358名の75期生諸君、卒業誠におめでとうございます。また、保護者の皆様、ご子息のご卒業、心からお祝い申し上げます。コロナ禍における3年間は、従来とは異なる様々なご苦労、ご心配があったことと拝察いたします。ご子息は、本校での3年間を通してたくましく、立派に成長されました。ご子息を支え、育まれてきたことに対し、敬意を表しますとともに、これまで本校の教育活動にご理解、ご協力をいただきましたことに、心より御礼申し上げます。
75期生諸君。3年前に春日部高等学校の狭き門を突破し、それぞれの夢や希望を抱き、入学されてきたことと思います。しかし、緊急事態宣言下、4月8日に新入生だけの入学式。その後2カ月の休校が続き、例年の1年生とは比較にならないほどの多難に満ちた学年でした。この3年間、コロナ禍にありました。新型コロナウイルス感染症の影響を色濃く受け、3年間マスクを外せませんでした。先輩たちがあたりまえに経験してきた学校行事も多くの制約を受けました。寂しさや悔しさをたくさん味わってきた高校時代だったと思います。そのような中、5月8日からは感染症法上の位置づけが変更され、名称変更も検討されることになりました。しかし、世界がコロナ禍前の時代に戻ることはありません。これからのアフターコロナの時代は、皆さんが創る新たな世界が始まります。
春日部高等学校は、校訓「質実剛健」、教育方針「文武両道」を実践し、広く社会で活躍できるリーダーを育てることを目指しています。75期生諸君は、1年生の春高祭は中止となり、2年生の春高祭は生徒だけの開催となりました。昨年4月、埼玉県教育委員会は「文化祭は一般公開しない」という方針を出しました。生徒会、文化祭実行委員会の執行部諸君は、春高ファンのために春高祭を一般公開したいという思いから、有志でインターネットで署名を集めつつ、校長へ訴えに来ました。校長室で生徒会、文化祭実行委員会の諸君と夜遅くまで議論したのを思い出します。
その時に私が話したのは「正々堂々」。目的達成のためには手段を選ばないという不択手段ではなく、将来、社会のリーダーとなる春高生諸君にとても大切な姿勢だと思っています。
生徒会、文化祭実行委員会執行部の諸君は、私の意を理解して、文化祭一般公開における課題や全国の高校文化祭の一般公開状況をしっかりと分析し、その対応策を提示するという「課題発見解決力」を発揮し、県教育委員会へ正々堂々と要望することができました。その結果、県教育委員会では要望を受け、一般公開容認へ方針を変えました。
春高祭での生徒諸君の取組に対し、私は校歌の「細き流れを集めきて 木を裂き岩をうがきつつ」の一節を思いました。私が1学期始業式で話した「焦らず、慌てず、諦めず、制約があることに『負けてたまるか』と強い気持ちを持つ」ことを体現してくれました。春高魂がしっかりと継承されていることを実感しました。
75期生諸君。本日、春日部高等学校から、それぞれの夢と希望を持って、新たな道へ歩み出していきます。諸君が歩み出す今日の社会は、ロシアによるウクライナ侵攻など混沌とした国際情勢、不安定な経済状況、ウイズコロナ、アフターコロナの変化する社会状況など、課題が山積しています。
「新型コロナは未来を十年早く連れてきた」と言われています。コロナ禍の前から速かった時代の変化は、ますます速くなっています。また、社会の変化とともに、科学の進歩にも目覚ましいものがあります。その結果、皆さんが学んだ知識も急速に古びていきます。急速に変化する社会で長く活躍し続けるためには、知識を折々に学び直し、また考える力を常に磨き続ける必要があります。このような時だからこそ、一人一人の「リーダーシップ」がとても大切です。
そこで、諸君に大正時代、昭和前期を代表する政治家 齊藤 隆夫(1870〜1949)の言葉を贈ります。兵庫県出身の齊藤隆夫は、苦学して早稲田大学を卒業後、弁護士試験に合格し、米国のイェール大学法科大学院に留学します。帰国後、三十年余り衆議院議員として活躍し、卓越した演説力で、1930年代の軍部の政治介入、軍部におもねる政治家を徹底的に批判した気骨ある政治家です。
一本の蝋燭たれ
この言葉は、「蝋燭は身を減らして人を照らす」という古い諺からきているようです。蝋燭は、蝋燭自身を燃やして周りを明るくします。自己満足で終わるのではなく、人のために尽くしなさいという意味です。
齊藤隆夫は、1940年2月、衆議院で軍部と政府が進める日中戦争を激しく批判する演説を行いました。日本史教科書にも書かれている「反軍演説」と呼ばれるものです。その直後、国家国民の将来を考えず、軍部の圧力に迎合した圧倒的多数の衆議院議員の投票により衆議院議員を除名されます。日本は、議会政治も完全に形骸化し、日米開戦という破滅への道を突き進んでいきました。
75期生諸君。ウイズコロナ、アフターコロナの時代は、過去の成功例が通用せず、「正解」がない時代です。「正解」は一つではないでしょう。皆さんの今までの勉強の多くは、一つの答えのある問題を解くことでした。しかし、これからは、何が問題か分からない場合もあれば、問題が分かったとしても誰も答えを知らないという状況に遭遇します。21世紀を生き抜く諸君は、この「解」のない課題に立ち向かう気概を持ち続けましょう。
本日の卒業式において、諸君の飛躍を祈念し、この会場に集います全員で、校歌を力強く歌い、諸君を送り出したいと思います。校歌は、旧制中学校時代から春高生の間で百年に亘って歌い継がれてきました。春高生の魂のふるさととも言うべき不朽の校歌を切磋琢磨した仲間と斉唱し、本校の卒業生として、地域社会と国際社会の豊かな発展のため、生涯にわたり挑戦する決意を新たにしていただきたいと思います。
75期生諸君の健闘を称え、ますますの活躍を期待するとともに、前途に幸多きことを心からお祈り申し上げ式辞といたします。
厳しかった冬の寒さもやわらぎ、春の訪れが感じられます。この春の佳き日に、潜在能力、将来性などの高いポテンシャルを持っている358名の75期春高生諸君が、この八木崎の学び舎から旅立つことを、大変うれしく思います。
御来賓の皆様のご臨席、多くの保護者の皆様のご列席を賜り、私たち教職員とともに卒業生の門出を祝していただけますこと、心より感謝申し上げます。
ただ今、卒業証書を授与いたしました358名の75期生諸君、卒業誠におめでとうございます。また、保護者の皆様、ご子息のご卒業、心からお祝い申し上げます。コロナ禍における3年間は、従来とは異なる様々なご苦労、ご心配があったことと拝察いたします。ご子息は、本校での3年間を通してたくましく、立派に成長されました。ご子息を支え、育まれてきたことに対し、敬意を表しますとともに、これまで本校の教育活動にご理解、ご協力をいただきましたことに、心より御礼申し上げます。
75期生諸君。3年前に春日部高等学校の狭き門を突破し、それぞれの夢や希望を抱き、入学されてきたことと思います。しかし、緊急事態宣言下、4月8日に新入生だけの入学式。その後2カ月の休校が続き、例年の1年生とは比較にならないほどの多難に満ちた学年でした。この3年間、コロナ禍にありました。新型コロナウイルス感染症の影響を色濃く受け、3年間マスクを外せませんでした。先輩たちがあたりまえに経験してきた学校行事も多くの制約を受けました。寂しさや悔しさをたくさん味わってきた高校時代だったと思います。そのような中、5月8日からは感染症法上の位置づけが変更され、名称変更も検討されることになりました。しかし、世界がコロナ禍前の時代に戻ることはありません。これからのアフターコロナの時代は、皆さんが創る新たな世界が始まります。
春日部高等学校は、校訓「質実剛健」、教育方針「文武両道」を実践し、広く社会で活躍できるリーダーを育てることを目指しています。75期生諸君は、1年生の春高祭は中止となり、2年生の春高祭は生徒だけの開催となりました。昨年4月、埼玉県教育委員会は「文化祭は一般公開しない」という方針を出しました。生徒会、文化祭実行委員会の執行部諸君は、春高ファンのために春高祭を一般公開したいという思いから、有志でインターネットで署名を集めつつ、校長へ訴えに来ました。校長室で生徒会、文化祭実行委員会の諸君と夜遅くまで議論したのを思い出します。
その時に私が話したのは「正々堂々」。目的達成のためには手段を選ばないという不択手段ではなく、将来、社会のリーダーとなる春高生諸君にとても大切な姿勢だと思っています。
生徒会、文化祭実行委員会執行部の諸君は、私の意を理解して、文化祭一般公開における課題や全国の高校文化祭の一般公開状況をしっかりと分析し、その対応策を提示するという「課題発見解決力」を発揮し、県教育委員会へ正々堂々と要望することができました。その結果、県教育委員会では要望を受け、一般公開容認へ方針を変えました。
春高祭での生徒諸君の取組に対し、私は校歌の「細き流れを集めきて 木を裂き岩をうがきつつ」の一節を思いました。私が1学期始業式で話した「焦らず、慌てず、諦めず、制約があることに『負けてたまるか』と強い気持ちを持つ」ことを体現してくれました。春高魂がしっかりと継承されていることを実感しました。
75期生諸君。本日、春日部高等学校から、それぞれの夢と希望を持って、新たな道へ歩み出していきます。諸君が歩み出す今日の社会は、ロシアによるウクライナ侵攻など混沌とした国際情勢、不安定な経済状況、ウイズコロナ、アフターコロナの変化する社会状況など、課題が山積しています。
「新型コロナは未来を十年早く連れてきた」と言われています。コロナ禍の前から速かった時代の変化は、ますます速くなっています。また、社会の変化とともに、科学の進歩にも目覚ましいものがあります。その結果、皆さんが学んだ知識も急速に古びていきます。急速に変化する社会で長く活躍し続けるためには、知識を折々に学び直し、また考える力を常に磨き続ける必要があります。このような時だからこそ、一人一人の「リーダーシップ」がとても大切です。
そこで、諸君に大正時代、昭和前期を代表する政治家 齊藤 隆夫(1870〜1949)の言葉を贈ります。兵庫県出身の齊藤隆夫は、苦学して早稲田大学を卒業後、弁護士試験に合格し、米国のイェール大学法科大学院に留学します。帰国後、三十年余り衆議院議員として活躍し、卓越した演説力で、1930年代の軍部の政治介入、軍部におもねる政治家を徹底的に批判した気骨ある政治家です。
一本の蝋燭たれ
この言葉は、「蝋燭は身を減らして人を照らす」という古い諺からきているようです。蝋燭は、蝋燭自身を燃やして周りを明るくします。自己満足で終わるのではなく、人のために尽くしなさいという意味です。
齊藤隆夫は、1940年2月、衆議院で軍部と政府が進める日中戦争を激しく批判する演説を行いました。日本史教科書にも書かれている「反軍演説」と呼ばれるものです。その直後、国家国民の将来を考えず、軍部の圧力に迎合した圧倒的多数の衆議院議員の投票により衆議院議員を除名されます。日本は、議会政治も完全に形骸化し、日米開戦という破滅への道を突き進んでいきました。
75期生諸君。ウイズコロナ、アフターコロナの時代は、過去の成功例が通用せず、「正解」がない時代です。「正解」は一つではないでしょう。皆さんの今までの勉強の多くは、一つの答えのある問題を解くことでした。しかし、これからは、何が問題か分からない場合もあれば、問題が分かったとしても誰も答えを知らないという状況に遭遇します。21世紀を生き抜く諸君は、この「解」のない課題に立ち向かう気概を持ち続けましょう。
本日の卒業式において、諸君の飛躍を祈念し、この会場に集います全員で、校歌を力強く歌い、諸君を送り出したいと思います。校歌は、旧制中学校時代から春高生の間で百年に亘って歌い継がれてきました。春高生の魂のふるさととも言うべき不朽の校歌を切磋琢磨した仲間と斉唱し、本校の卒業生として、地域社会と国際社会の豊かな発展のため、生涯にわたり挑戦する決意を新たにしていただきたいと思います。
75期生諸君の健闘を称え、ますますの活躍を期待するとともに、前途に幸多きことを心からお祈り申し上げ式辞といたします。