【校長ブログ】2学期が始まりました!
45日間の夏休みを終え、今日から2学期がスタートしました。はじめに体育館で表彰式、壮行会そして始業式を行いました。久々に仲間とあったうれしさからかとても表情も明るく、テンションが高かったですが、いったん式典が始まると、「ビシィ」とした態度で臨み、春高生の矜持を忘れてはいませんでした。さすがでした。
私からは、始業式の式辞では、社会を担うリーダーを育成することを掲げている本校として「他者の靴を履いてみる」と題して、「エンパシー」の紹介と、それを踏まえて学校生活をどのように過していけたらよいのかについて話を しました。話では分からなかった部分もあるかと思いますので、改めて式辞の概要をを掲載しますので時間があるときに改めて 確認していください。
以下、式辞の概要です。
皆さん、おはようございます。
本日、2学期のスタートにあたり、皆さんに将来、本校の目標である「社会を担うリーダーの育成」の一環として、今、世界で最も重要だと言われている能力について話をします。
その能力とは、英語の古い慣用句にある、この言葉に集約されています。
「他者の靴を履いて、1マイル歩いてみなさい」です。
これは本当に隣の奴の靴を奪って履き替えるという意味ではありません。もし今すぐ「隣の奴の靴と履き替えてみろ」と言われたら、サイズは合わないし、何より部活帰りの靴はちょっと生温かくて嫌です。
この言葉が言わんとしているのは、「自分とは立場や考え方が違う人の立場に、徹底的に身を置いて想像してみる」という意味です。
シンパシー、すなわち「共感」は、気が合う仲間に対して自然に湧き上がる単なる感情です。しかし、今日私が皆さんに求めるのは、あえて頭と想像力をフル回転させて、自分と異なる相手を客観的に理解しようとする、「知性としての共感(エンパシー)」です。一言で言えば、「シンパシーは感情、エンパシーは知性」です。
今、世界中の教育やビジネス、あるいは国際社会の最先端において、「これからのAI時代、リーダーに最も必要なのはこのエンパシーという知性である」と叫ばれています。どれだけテクノロジーが進化しても、他者の痛みを想像し、解決策を生み出す力だけは、AIには絶対に代替できない人間の究極の強みだからです。
この、他者の靴を履くエンパシーによって、世界を大きく変える偉業を成し遂げた人物がいます。皆さんが毎日手にしている「iPhone」を生み出した、アップル社のスティーブ・ジョブズです。彼は、徹底的に「機械が苦手な一般ユーザーの靴」を履き、その不便さを想像し抜いたからこそ、説明書がなくても動かせる「ボタンのない革新的な携帯電話」を創り出しました。しかし、実は、ジョブズ自身、最初からこのエンパシーを持っていたわけではありません。若い頃の彼は、天才的ではありましたが、きわめて傲慢で、周囲の社員の靴を履こうとしない、独善的な人間でした。その結果、周囲からの信頼を完全に失い、彼は自らが創業したアップル社から一度「追放される」という、人生最大の屈辱と挫折を味わっています。しかし、ジョブズが偉大だったのは、その後の長い挫折の暗闇の中で、「他者の靴を履くこと(エンパシー)」の重要性を、痛烈な教訓として学び直したことです。だからこそ、彼は一回り大きく、成熟したリーダーとしてアップルに復帰し、あのiPhoneという、世界中の人々に寄り添う大発明を成し遂げることができたのです。
一方で、同じ天才でありながら、最後までエンパシーを学べずに転落した現代のカリスマもいます。ウーバーの創業者、トラビス・カラニックです。彼は、スマホでタクシーを呼ぶという素晴らしいアイデアで世界的な大企業を創り上げました。しかし、彼には最後まで「他者の靴を履く想像力」が欠けていました。過酷な労働環境に耐えるドライバーや社会の靴を履こうとせず、利益だけを最優先した結果、一瞬で世間から見放され、自分が作った会社から事実上追放されました。
ジョブズは挫折からエンパシーを学んだからこそ復活し、カラニックはそれを拒んだからこそ自滅した。どんなに優秀で強い芯を持っていても、他者の靴を履く想像力を失ったリーダーは必ず孤立し、すべてを失う。これは、現代の社会におけるリアルな生存戦略の教訓です。そして、この「他者の靴を履く」ために、まず私たちが知るべきなのは、「私たちが『正しい』と信じている基準は、相手の置かれた状況や立場によって、いとも簡単にひっくり返る」という事実です。
例えば、ある地下鉄の車内。
数人の子どもたちが騒ぎ、走り回っていました。しかし、その父親は下を向いたまま注意もしません。不快に思ったある女性客が、男性に厳しい口調で言いました。
「子どもが騒いでいるのに注意しないのは良くないですよ。みんな迷惑をしています」
その瞬間、男性はハッと顔を上げ、弱々しい声でこう答えました。
「……すみません。実は、さきほど妻が病院で亡くなったと連絡があり、頭が混乱して、どうしていいか分からなかったのです」
女性は絶句しました。
女性の頭の中にあった「無責任な父親」という絵は一瞬で消え去り、「最愛の妻を亡くして呆然としている夫」という、全く別の景色へと塗り替えられたのです。
相手の背景を知らないまま、自分の物差しだけで他人を判断することは、とても無責任なことです。一歩立ち止まり、相手の立場を思いやり、状況を深く見極められる人間であってほしいのです。
では、この「他者の靴を履くエンパシー」は、どうしたら身につけることができるのでしょうか。
まず、大前提があります。
それは、「自分自身が、自分の靴をしっかりと履き、己の足でブレずに大地に立っていること」、つまり「自分の芯」が確立されていることです。自分の軸がグラグラしている人は、他者の靴を履こうとした瞬間、相手の感情に簡単に流され、自分見失ってしまいます。
では、自分の芯は、どのように確立するのでしょうか?
皆さんは、今の生活をしっかりと送ればいいのです。
日々の授業や部活動、そしてこれからの行事における、「地道な努力の積み重ね」の中にしかありません。「自分にとって本当に譲れない価値観とは、痛みを伴いながら自ら守り抜いた経験の中からしか生まれないから」と教育学者や心理学者は言っています。
夜、自らの意思で机に向かい、「毎日2〜3時間の勉強」という孤独な約束を守り抜くこと。
模試の結果に打ちのめされながらも、「それでも第一志望に行く」と泥臭く机にしがみつくこと。マラソン大会や体育祭で、限界の苦しみの中で、もう一歩を踏み出すこと。
この地道な努力の積み重ねだけが、さまざまな事で苦しみ、乗り越えた結果に、自分の中ではどうしても譲れない価値観ができて「自分だけの頑強な靴」、強固な「芯」を創り出します。その自分の靴でしっかりと大地を踏みしめているからこそ、初めて、他者の靴に足を入れてみることができるのです。
また、同時にエンパシーを持つために心がけてほしいことがあります。それは「相手をよく観察し、事実の情報を集めること」を意識することです。よく観察して情報を集めるからこそ、初めて「相手の靴」の本当のサイズや痛みが、正しく想像できるようになります。そして、相手の様子をよく観察し、「あいつは今、苦しんでいるのではないか」「自分とは違う葛藤を抱えているのではないか」と気づいた時など、相手の尊厳を守り、孤立から救い出すために、次の3つの『態度』を取ってください。
第一に「相手の背景をよく観察した上で、正論で論破しない」ということです。
相手の靴を履き、「今、この人は正論を言われたら余計に傷つくだけだ」と想像できる時は、アドバイスをぐっとこらえ、余計な口を挟まずに、ただ耳を傾けて話を聴きます。
第二に、「相手の尊厳を守りながら、黙ってサポートする」ということです。
例えばマラソン大会で、クラスで最後に走っている仲間が、今にも倒れそうに苦しんでいるとき。「あいつのせいで順位が下がる」と文句を言うのでもなく、偉そうにアドバイスをするのでもない。ただ自分の走りが終わった後に駆け寄り、並走しながら「あと少しだ、一緒に走ろう!」と声をかける。あるいは、勉強でつまずいている仲間に対して、「こんなことも分からないのか」と突き放すのではなく、「ここ、俺も最初苦労したんだよね」と一緒に考える。
第三に、「相手に寄り添う」ということです。
相手の靴を履いて、「あいつは今、一人でプレッシャーに押しつぶされそうになって、孤独な戦いをしている」と気づいたとき、「実は俺も、模試の結果を見て、夜眠れないくらい不安だったんだ」と、あえて自分の失敗や不安などを伝えるなど、「君は一人じゃない。俺も同じように悩む人間だ」と伝えるなど、相手に寄り添うことです。
もし、皆さん一人一人全員が、このエンパシーをもとに支え合うことができれば、もっと、もっと素晴らしい春高になると確信しています。
2学期、まずは自分の芯を鍛え上げ、その上で「エンパシーという知性と想像力、そして謙虚な行動」を持って、全員で、全力で駆け抜けましょう。
以上、この二学期が皆さんにとって充実した日々になることを祈念して始業式の式辞といたします。