日誌

2023年8月の記事一覧

陸上競技部 国体予選埼玉県大会 2種目入賞!!

8月13日に上尾運動公園にて、国体予選埼玉県大会が行われました。

本校からは4種目出場権利を得ていました。

100m  渡邊 幸輝(1) 予選11”19(-1.1) 決勝11”10(+1.2) 6位 ※春日部高校歴代16位

3000m 大江 秀弥(1) DNS

110mJH 冨田 和喜(1) 予選15”73(-1.9) 決勝15”39(+1.3) 7位 ※春日部高校歴代8位

円盤投 諸橋 亮良(1) 25m58 15位

 

出場した3名ともベスト記録が出ました。

夏休み後半もしっかり練習し、新人戦につなげたいです。

 

 

【校長ブログ】旧制粕壁中学校の昭和20年8月15日~78回目の終戦記念日~

 本日8月15日は78回目の終戦記念日です。日中戦争以降の戦没者の方々を追悼し平和を祈念するため、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」といい、昭和57(1982)年4月13日に閣議決定されました。戦没者追悼は、昭和27(1952)年5月2日に政府主催で全国戦没者追悼式を新宿御苑で実施し、時期や場所を変更しながら、昭和40(1965)年8月15日以降は、日本武道館で実施されています。

 『春日部高校百年史』を読んでみると、終戦時の記述はあまりありません。「8月14日、翌15日正午、玉音放送の予告がある。8月15日午前6時頃から艦載機の来襲がある。12時、警戒警報が解除。防空要員と登校した生徒の一部が終戦の大詔を涙を流しながら拝聴する。敗戦前後当時の記録は、昭和28年の校舎消失のためだろうか、あるいは敗戦直後の進駐軍による査察等のため焼き捨てたのだろうか、現在まったく残されていない。」と記述されています。ただ、『春日部高校百年史』には当時の生徒の回想録も記載されています。「8月15日、正午から特別放送があるというので登校、11時半過ぎ校庭に出た。正午「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ…」という終戦の詔勅。ラッパ型のスピーカーそれに初めて聞く玉音放送、誰が喋ているのか内容もわからない。終わるや否や急いで教室に戻った。我々の関心事はいつも11時半過ぎに食べていた弁当を食べ損なった事である。早速弁当に食らいついた。そこへ入ってきたのが担任の小山先生、開口一番「こんな時によく飯が食えるな」、生徒「何があったのですか」、先生は目を真っ赤に泣き腫らして言われた。「日本は戦争に負けたんだ。」しかし我々の気持ちはこれで空襲がなくなる、学校工場もやらなくて済む、ということだった。そして先生が教室を去った後弁当にしゃぶりついた。」

 私が子供の頃、戦争体験者の方々がまだまだたくさんいらっしゃいました。親からも戦時中の話しを聞いたりしました。高校の先生には、海軍兵学校出身の先生もいらっしゃいました。終戦の日の8月15日は、お盆の時期(8月13日~16日)と重なります。お盆は旧暦の7月15日を中心に行われる先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から帰ってきて、家族と共にひとときを過ごし、再びあの世に帰っていく、という日本古来の祖霊信仰と仏教が結びついた行事です。旧暦(太陰暦)の明治5(1872)年12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日としてから、新暦7月15日に合わせると農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため、新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなりました。お盆であるために、戦争で生き残った者やその子孫が、死者の魂に触れる日でもありました。8月15日は、戦没者がそれぞれの家や故郷へ帰ってくる特別の時間のような雰囲気がありました。

 今年は、戦後78年。明治維新(1867年)から日本の終戦(1945年)までの期間と同じになっています。戦後日本は戦争に参加していません。ロシアによるウクライナ侵攻(2022年)など国際情勢が緊迫する中ですが、戦没者を悼み、惨禍が繰り返されないよう平和への誓いを新たにしました。

【校長ブログ】人の心に残る仕事~ある先生と司馬遼太郎『無名の人』~

 昨日9日は、昨年亡くなられたチーム春高の一員であった春日部高等学校ラグビー部顧問の先生の月命日でした。先生は、鹿児島県立鶴丸高等学校時代にラグビー部で活躍され、九州選抜メンバーにも選ばれたラガーマンでした。今月、春日部高等学校で苦楽を共にされた同僚が、先生の出身校である鹿児島県立鶴丸高等学校を訪問し、遺影と一緒に鶴丸高等学校ラグビー部現役生徒と写真を撮らせていただきました。先生の御魂も母校に帰ることができたと思います。前田光久校長先生、小島健志教頭先生をはじめ諸先生方に感謝申し上げます。報告を聞いて、私は、ある幕末の志士の生涯を思いました。 

 幕末に所郁太郎(1838~1865)という人物がいました。ご存じの方はほとんどいないと思います。私がこの人物を知ったのは、中学生の時です。国語の教科書に登場していたのを覚えています。話の内容だけ記憶の片隅にあり、彼の名前は忘れてしまいましたが、大学生の時にふと思い出し、調べてみました。その時にわかったのは、国語の教科書短編小説は、歴史小説家の司馬遼太郎(1923~1996)が教科書に書き下ろしたもので、題名は『無名の人』でした。主人公の所郁太郎は美濃国赤坂(岐阜県大垣市)出身の幕末の志士ですが、日本史の教科書には全く登場しませんが、この人は歴史の舞台に一度だけ、それもほんの一瞬だけ登場します。

 時は幕末、場所は長州山口(現在の山口県山口市)の郊外です。当時、長州藩は討幕派の高杉晋作(1839~1867)などと保守派が激しく対立していました。高杉晋作のグループに井上聞多(後の井上馨:1836~1915)という人物がいました。元治元(1864)年9月25日の夜、山口での会議からの帰路、数人の男に襲われ、さんざんに切られ、瀕死の重傷を負いました。家に担ぎ込まれましたが、医者は助からないと言いました。聞多は、しきりと介錯をしてくれという仕草をしたそうです。この騒ぎの中、偶然、この家に入ってきた人物が所郁太郎でした。かれは、4時間かけて畳針で五十幾針を縫い、ようやく治療を終えました。井上聞多は奇跡的に助かり、再び歴史の表舞台に出て、明治維新後は井上馨として、外務卿として条約改正の取組や農商務大臣、内務大臣などを歴任します。一方、命を助けた所郁太郎は翌年(1865)にチフスで異郷の長州で亡くなります。

 司馬遼太郎は、井上聞多の遭難事件のことを調べて以来、所郁太郎のことについて心の隅にわだかまり続けていたそうです。ある時、山口県の明治初年の記録を調べてみると「美濃 所某」とあり、「言葉遣いは穏やかであり、第一流の人物という印象があった」と短いながら書かれていたそうです。また、幕末に蘭学の医師として有名な緒方洪庵(1810~1863)がつくった適塾の入門帳611名の中に彼の筆跡が残っていました。「万延元年八月十五日入門 濃州赤坂駅 所郁太郎」と書かれていました。万延元年とは1860年です。司馬遼太郎は、所郁太郎自身が書いたらしい筆跡と出会い、「君はこんなところにもいたのか」と、息を忘れるほどの感動を覚えたそうです。その後、『美濃浪人』(新潮文庫『人斬り以蔵』に所収)という短編小説に所郁太郎の生涯を初めて記しています。彼の師の緒方洪庵は医師の道を説くことの厳しかった人で「医師というのは、人を救うために人の世で生きているもので、自分のために生きているのではない」と言っています。所郁太郎には一枚だけ写真が残っています。旅の武士姿で笠を持っています。遠くを見据える目には強い意志を感じます。

 所郁太郎の生涯はわずか27歳と短かったですが、この世に生を受け、その時に、自分ができることを精一杯やり遂げたと思います。チーム春高のメンバーだった先生は、多くの生徒や同僚に慕われていました。人の心に残る仕事。教師の仕事は、緒方洪庵の思いに通じるものがあると思いました。

【校長ブログ】昨日の自分に差をつける~夏休みの春高生~

 夏休みも19日が過ぎ、間もなく半分が過ぎようとしています。8月9日、春日部高校では、不安定な天候でしたが、生徒は夏季講習や部活動に頑張っています。

 夏季講習では、第3クール(8月7日~12日)に入りました。「東北大・北海道大国語演習」「一橋大国語演習」「旧帝大国語演習」「難関英語長文読解」「文理共通数列」など12講座が行われています。受講する講座以外の時間帯では多くの、3年生が自習室や教室で自学自習しています。

 部活動は、雷雨のため屋外の活動はできませんが、体育館や格技場、卓球場や特別教室などで活発に活動をしています。各部活動の活動の様子は学校ホームページをご覧ください。

春日部高校の部活動

 私も校長としてできる限り生徒の活躍を激励しています。今夏は、野球部、物理部、吹奏楽部が出場した大会の応援に行きました。しっかりと春高魂を発揮してくれています。直近では、吹奏楽部が昨日8月8日にさいたま市文化センターで開催された埼玉県吹奏楽コンクール県大会に出場し、♪「祈りとトッカータ」を演奏して会場を魅了し、銀賞を受賞しました。

 春日部高校には定時制の課程もあり、校長は兼務しています。今年度はバスケット部と陸上部が全国高等学校定時制通信制総合体育大会に出場しています。全日制では「インターハイ」と言われる大会です。バスケット部は8月3日に東京体育館で開催された全国高校定通体育大会バスケットボール大会に埼玉県代表として出場し、私も応援に行きました。島根県立宍道高校と対戦し78-28で勝利しました。翌日に京都府立清明高校と対戦し、74-78で惜敗しましたが、埼玉県代表として立派に活躍しました。陸上部は8月11日に全国高校定通体育大会陸上大会に出場します。激励に行ってきます。

 春高生諸君、君はいま、「どこまで行けるか」を試すことができるし、試さずに過ごすこともできる。可能性や選択肢は無限にあるけど時間は有限。夏休み後半、頑張れ!春高生

【写真部】全国大会に出場しました。

文化部の全国大会である第47回全国高等学校総合文化祭の写真部門が7月29日~8月2日に鹿児島市で開催されました。本校から写真部3年の工藤彰が「古今和風景」という作品で出場を果たしました。写真部門で埼玉県から出場できるのは、昨年度開催された2回の県高校写真展で約1600人が出品した2308作品の優秀作10作品の出品者です。鹿児島では、各都道府県の出場者の作品展示のほか、写真家三好和義氏の講演会、生徒交流会、県内の撮影会等がおこなわれました。

全国高総文祭写真部門 会場玄関にて

 全国高総文祭 写真部門会場「かごしま県民交流センター」玄関にて

【水泳部】 今年も行いました!地域への貢献、地域との連携

 https://kasukabe1899.spec.ed.jp/blogs/blog_entries/view/886/2bbaac6312f20be25d4e3e005f7ee38b?frame_id=2633 (昨年度、春日部中央スイミングとの初合同練習についての記事)

 

今年も春日部中央スイミングのコーチ・選手達と合同練習を2日間(8/2、3)実施しました。

 お一人目のコーチに仰っていただいた内容で印象深いのは「春高生には理論を教えれば、あとは自分たち自身で思考し実践していく力がある」という言葉です。1から10まで教えなくては動けない、あるいは1から10まで教わった通りにだけ動くという姿勢はリーダになるべき春日部高校の生徒にはふさわしくありません。そうではないことを評価されたことはとても誇らしいことです。

 お二人目のコーチからは「チーム」についてアドバイスをいただきました。ナショナルチーム合宿に御自身が指導する選手を引率する中でいかにチームの力が重要だったかを、レクチャーしていただきました。

 先月行われた世界水泳で日本が惨敗した原因を、パリ五輪強化プロジェクトリーダーの平井伯昌先生が「コーチや選手が個人で頑張っている感じで、20年前に戻ってしまった」と分析しております(「NumberWeb」8/3松原孝臣)。その記事の中では、「当時史上最強と呼ばれる中で臨んだ1996年のアトランタ五輪でメダルなしに終わった」ことから勝つための方法として「チーム再建のヒントになったのは、高校の部活だった。学校対抗戦で一丸となって臨むことで選手が力を発揮することに着目し、代表のチーム化を進めたのだ」と書かれております。

 今回の世界水泳でもキャプテンを務めた入江陵介選手がロンドン五輪中に発言した内容を我々春高水泳部も実践していく次第です。

 「競泳は27人で1つのチーム。最後の男子リレーの自由形の選手がタッチするまで、27人のリレーは終わりません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【吹奏楽部】吹奏楽コンクール地区大会 金賞・県大会出場!

吹奏楽部は、7月31日(月)に所沢市民文化センターミューズにて行われた埼玉県吹奏楽コンクール地区大会高校Bの部に出場しました。

30名の出場メンバーとサポートの1年生は、早朝より準備をして本番に臨み、今できる限りの演奏を披露しました。

結果は金賞を受賞し、8月8日(火)にさいたま市文化センターにて行われる埼玉県大会への出場が決定しました。

昨年に続く県大会出場を果たしてうれしく思う一方、この1週間で解決すべき課題がたくさんあることも事実です。

納得のいく演奏ができるように、さらに練習に励みます。

応援のほどよろしくお願いいたします!

 

(地区大会の賞状。一部仮記載の状態ですみません…)